今からでも遅くない、他の格闘技に行けば

亀田のパンチ力の原点 19歳の新チャンプ
 WBA世界ライトフライ級王者の亀田興毅(19=協栄)の父史郎氏(41)は当初、亀田の将来をボクシングに限定していなかった。「格闘技でな、メシを食えるようになればとは思ってたんや」。幼いころはいつも史郎氏のそばにいて、いじめられて泣き虫だった亀田。「戦うことを怖がったら、あかんねん」と史郎氏に近所にあった空手の道場に連れていかれた。まだ4歳の時だった。
 亀田を道場で指導した本部派糸東流国場会宗家の国場幸介氏(47)によれば、空手の指導は、まず手の握り方から始まり、次に「突き」に進む。始めたばかりの亀田は不器用だった。正しい突き方は、拳を正面に突き出す時、標的に当たるギリギリで手首を返す。亀田は手首を返すのが早すぎて威力が半減していた。だが1カ月間のけいこでクセを修正した。
 国場氏「興毅は努力を努力と思わない才能を持っていた。普通の子ならすぐにあきらめたり、上手になって一定の強さになると、中だるみというか手を抜いたりする。でも興毅に、そんな雰囲気はまったくなかった。強くなりたい気持ちが強かったんでしょうね」。
 5歳の時に、幼稚園でいじめられていたガキ大将を一撃で泣かせて自分の非凡な才能、パンチの強さを知った。史郎氏の目の色も変わった。「オレもやりだしたら、しつこいからな」。道場から家に帰ってからも反復練習。突き、蹴り100本を終わって、風呂に入るのが日課だった。家での練習の方が多くなった。休みの日でも、史郎氏を相手に突きと蹴りを繰り返した。
 世界ジュニア選手権を制し、空手で世界王者になった。努力の結実は、亀田に大きな自信を与えた。グリーンツダジムには11歳から通い始めたが、空手も14歳まで続けた。空手がボクシングに役立つことを実感していたからだった。
 国場氏「ボクシングより空手の突きの方が素手の分だけスピードが速い。スピードに対する反応も良くなるし、ボクシングでいえばカウンターに役立っているのは間違いない」。
 亀田は昨年から、左拳の痛みにずっと耐えながら練習、試合を行ってきた。真剣に手術を検討したこともある。「パンチの強さに拳がついてけえへん。職業病なんや」と史郎氏は説明した。パンチ力の原点は空手、そして強くなるための努力があった。
[2006年8月6日8時43分 日刊スポーツ紙面から]

 批判的な記事が多い一般紙と違って、これからも亀田で食っていかないといけないスポーツ紙は懸命に擁護をしている。
 この記事の肝は『亀田は昨年から、左拳の痛みにずっと耐えながら練習、試合を行ってきた。真剣に手術を検討したこともある。「パンチの強さに拳がついてけえへん。職業病なんや」と史郎氏は説明した。』の部分。まっ、言い訳ですな。減量苦といい、言い訳ばかりでなんか女々しいなあ。
 減量苦といっても、10数キロ減量した、ファイティング原田やガッツ石松のように、水洗トイレの便器の中の水を手ですくって飲む誘惑に駆られるようなことはない(演出とはいえハンバーガーをパクつけるのだから)だろうし、同じ協栄ジムの大先輩でカミソリパンチといわれた海老原博幸(協栄ジムはこの人と先代の金平正紀との出会いから始まった)のように、あまりの切れすぎるパンチに拳がついていけず、7度の骨折を繰り返したというようなこともないだろう。
 亀田のことを強打者と持ち上げることが多いが、パンチが切れて倒したというよりも、相手の戦意喪失によるものが多いし、ランダエタ戦ではビッグパンチを入れても、ランダエタをぐらつかせることすらできなかったのだから、実際にはそれほどパンチがある選手ではない。
 空手を習い始めた後に、幼稚園でいじめられていたガキ大将を一撃で泣かせたという点は、大いに問題だと思うが。空手の技を喧嘩に用いることは絶対にしてはならないことで、子供とはいえそのあたりのことは、指導者や親なりがちゃんと指導しなければいけないことである。それをさも武勇伝のように書くのは問題ありだ。まあ、あの親父のことだから、逆にけしかけたということは十分想像できるけれどね。
 ボクシングでなくても格闘技でメシが食えれば良いのなら今からでも遅くない。ボクシング界から引退して、TBSに頼んでK-1の軽量級でも作ってもらって、そこのチャンピオンとして君臨すればいい。K-1ならば、色々な演出をしても、ボクシングほど叩かれないし、そのほうが亀田のためだ。

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